雙葉日記

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2017.06.22

高3黙想会

「とりあえず」の日常を離れて、自分と向かい合うことができました

 19日(月)に、本校視聴覚室と聖堂にて、「高3黙想会」が行われました。昨年に引き続き今年も、神言会司祭・長崎南山中学・高等学校校長の西経一神父様をお迎えしました。
 神父様はこの黙想会で、「とりあえず・さしあたり・とり急ぎ」の日常を離れて、「生きる」ことや「学ぶ」ことのそもそもの意味、自分と向かい合うことの大切さを教えて下さいました。
 「生きる」ということには、今世の中を支配している仕組みである「やりとり」、「交換」、「比較」ではなく、それを超えた領域があるということ、それは生まれたときから親の無償の愛情によって私たちの心に育まれてきたものです。このことは、自分の長所も短所も全て含んだ自分を「自分」として肯定することのベースになるものです。 そして、「学ぶ」ということは「人間になる」ための、すなわち一つ一つの事物のコンテキストを正しく理解し自分を表現するためのものであり、人の痛みや悲しみを理解できる人間になるためのものであるということも教えていただきました。
 またクリスマスケーキをナイフで「切り分ける」という行為を例に挙げられ、これは「愛」の象徴であるということ、すなわち神様が自身を「割いて」私たちにさまざまな形で「愛」を差し出すことを意味するのだそうです。バースデーケーキも同様の意味を持ち、本当は「子どもが親に、自分のために身も時間も割いてくれたことを感謝する」ものであるというお話からも、生徒たちは「神様や周囲の人々の支えがあってこそ今の自分が在るのだ」ということを実感することができたようです。
 このように神父様は身近でわかりやすい例を多く挙げられ、生徒たちも自分たちの日常を形づくる行為の根本を知り、自分自身に照らし合わせてじっくりと掘り下げることができたようです。彼女たちが日々励んでいる受験勉強も今後より中身の濃いものとなり、それぞれの抱く目標にまた一歩近づいていく契機となったことでしょう。
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神父様の講話の様子。(視聴覚室)

ミサの様子。(聖堂)


◆神父様の講話を通しての生徒の感想◆
・昨日まで、自分には欠点だらけで、いいところなんて一つもないと決め付けて、一人で落ち込んでいましたが、世の中の上下の評価だけではない、また長所も短所もあってこその自分である、という神父様の言葉をうかがって、大変勇気づけられました。
・人は、他人からの「可愛い」とか「かっこいい」という言葉に価値を感じがちだけれど、そのような「形容詞」を使って他人を評価すること自体が、「比較」することであると強く思いました。「形容詞」による価値を求める人間は、すなわち他人と「比較」して、他人より勝ることを自分の価値としているのではないかと思いました。社会に出ると、もっと、他人からの「評価」ばかりに目がいってしまうと思いますが、赤ちゃんの時に「交換なしに、良しとされた」という人間の核心を忘れないでいることこそが、人生を豊かに生きることにつながると思いました。
・私たちは他人の気持ちや痛みを理解できるようになるために勉強するのだ。また一匹のサンマ、一つのりんごでさえ、たくさんの人の働きがあって私たちの手に入る。だから、自分は人の支えによって、今自分の進路を決めることができて、たくさん協力してもらっていると改めて思った。でも私はそのお返しに勉強して何とかしなければ…と考えていたけれど、「交換」ではなく、私はそのまま自分なりに頑張り続ければよいのだと思えた。

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